演奏会のご案内(N響以外)

  • 2011/11/01 東京オペラシティリサイタルシリーズB→C 第136回公演
    東京オペラシティ文化財団が主催するリサイタルシリーズ「B→C(ビートゥーシー/バッハからコンテンポラリーへ)」の第136公演のソリストに採り上げていただきました。歴史あるリサイタルシリーズへの参加を大変光栄に思い、武者震いしながら準備に励んでいます。 Sound gardenとは一味違ったステージを展開する予定。みなさま、是非遊びにいらしてください!!

竹島悟史リサイタルシリーズ Sound garden

  • 003 竹島悟史 Sound garden vol.3 “Reunion”大成功!!
    2010年12月7日、サントリーホール・ブルーローズ(小ホール)にて、リサイタル第三弾を行いました。「Reuinon=再会」をテーマに掲げ、ゲスト浦壁信二、森浩司両氏の2台ピアノと共に、存分に楽しみました。自他作コンチェルト4曲や、僕も含めた3人でのピアノ6手連弾、マリンバソロと、盛りだくさんな内容でしたが、お客様には大いにお喜びいただけて、拍手喝采が鳴り止みませんでした。本当に楽しかった。ありがとう!!
  • 002 竹島悟史 Sound garden vol.2 "crossing" あたたかく終了!!
    2008年10月7日、第2回目リサイタルを行いました。ソプラノ佐竹由美、ハープ早川りさこ、チェロ銅銀久弥という、偉大な音楽家である素敵な仲間たちと一緒に作り上げたステージは、のちにたくさんのお客様からいただいた「心の底まであたたまる時間をありがとう」というお言葉に包まれて終演しました。 こちらこそ、あたたかいご声援をありがとう。
  • 001 竹島悟史 Sound garden vol.1 "Let's!!" 大盛況のうち終了!!
    2006年9月26日、初めてのリサイタルを行いました。 記念すべき第一回 "Let's!!" は、マリンバと作曲をメインに企画。 ご来場頂いたみなさまのおかげで、会場中に「僕の庭」を表現出来ました。 本当にありがとうございました!!

LINKS

  • NHK交響楽団
    所属するNHK交響楽団のページ。
  • 株式会社1002
    僕のリサイタルシリーズ"Sound garden"の制作を担当してくださっている音楽事務所。究極のサポート、あったかすぎ。
  • Percussion Unit "UNZARI"
    参加するUNZARIのページ。最高の仲間と「遊びのち遊び、ところにより音楽」
  • Japan Percussion Center
    日本最大の打楽器屋さん。何と言ってもまずはここ。お世話になっております
  • プロフェッショナル・パーカッション
    こちらは、日本最大の打楽器レンタル屋さん。貸スタジオもあります。
  • (株)こおろぎ社
    僕の愛器(マリンバ)を作ってくださった、こおろぎ社。心くすぐる、おだやかであったかい音。
  • 萱谷亮一
    芸大同級生、あちこち大活躍なパーカッショニスト。畑違えど、志は同じ。彼の存在は励みになります。
  • 神代修
    なぎさブラスゾリステンのボス、日本を代表するトランペッター。素晴らしきパパさん音楽家で、相変わらず良きチョイ悪。(笑)
  • 佐竹由美
    由美と書いて「なおみ」さん。日本を代表する素晴らしいソプラノ歌手です。あったか〜いソプラノ。暖。
  • 竹原美歌
    スウェーデン在住の打楽器奏者。ソリストとして元気に活動、可愛らしくも力強い心意気に、ファン多し!! 
  • 早川りさこ
    N響ではもちろん、二人でのDuoでも仲良くさせていただいています。あぁ、天は二物を与えちゃったね〜。
  • 二ツ木千由紀
    独特な魅力のセレブなパーカッショニスト、chiyukiさん。キラリセンス光る数々の言動は、みんなの注目の的!!
  • Yuko
    呑み仲間、OL Yukoのページ。天真爛漫、品良くテンション高めなのに、隅々まで気配りないいヤツです。
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長文。頑張ろう。

皆さま、その後いかがお過ごしでいらっしゃいますでしょうか。

大震災以来、とてつもなく厳しい生活をおくられている被災地の方々に、心から応援の気持ちをお送りするまでです。また、信じられないほど多くの方々がお亡くなりになったことに悲しみを覚え、心からお悔やみ申し上げます。

3/23の夕方、N響北米公演から帰国しました。
大地震が起きた3/11、、、僕は午前中仕事に出ていて14:00ころに帰宅。翌日3/12にN響北米公演へ出発するため、夜には成田空港近くのホテルへ入る予定だったので、旅支度をし始めようとしていたところでした。旅行用スーツケースを引っ張り出してきて拭いたりしていたころ、揺れました。
棚にあった楽譜やCDや小さい楽器が次々と床へ落下していくのを、隠れた机の下から眺めるばかりでした。これは尋常じゃない、、、、机の上にあった飲みかけのペットボトル飲料が、ジャンプして床へ落ちた画は忘れられません。
揺れがおさまり、火の元を確認してからテレビをつけ、マンションのまわりがどうなっているか確認しようと外に出た瞬間、二回目の大きな揺れがありました。僕のエスティマがワンワン踊るように揺れ、電線が波打ちました。これは来たな、と。すぐさま電話やメールがつながらなくなり、実家の両親や千葉に住む兄を心配しましたが、偶然にも程なく比較的早い段階で連絡が取れ、まずは一安心。テレビを見ながら事の大きさに呆然としつつ、余震に揺られながらますは部屋の片付けをしました。
物理的にも精神的にも旅支度などもってのほかで、、、この状況で本当にアメリカに行くのだろうか?と思ったのですが、N響からは「まずは旅程に沿えるよう、何とか出来る限り動いてくれ。」という指示があり、メンバーそれぞれ色んな想いを持ちつつ動きました。
続く余震に揺られながら何とかスーツケースを作り上げたのは夜遅く。タクシーでの成田入りを勧められましたが、空車タクシーなど全く走っておらず、思い切って自分の車で成田を目指しました。高速道路は全滅だったので、一般道で、、、ただ、道の選択が良かったのか意外にも時間がかからず、明るくなる直前に成田のホテルへ到着しました。運転しながら「(余震による)緊急地震速報」を何度となく受信し、ビクビクしながらの運転、恐ろしかったです。
成田に行くということは、家からすると「多少たりとも震源地に近付く」ということでもあり、明け方に入った成田のホテルでは度重なる余震を大きく感じ、眠ることはもちろんシャワーを浴びることも出来ませんでした。
明朝、ホテルのロビーで宿泊予定だったメンバーの半分ほどと会い、揃って空港へ。みんな顔が引きつっていて、、、当然です。空港での集合時間にも、かなりの人数が揃っていません。そして、フライト自体も欠航か遅延か、まずは足止めという状況。空港も余震で揺れに揺れていました。
その内、午前中出発だった便が、夕方には飛ぶこととなり、そのころにはほとんどのメンバーが何とか集合できていて、、、それでも間に合わなかったメンバーもいたけれど、、、色々と協議した結果、地元が被災地に当たる公演メンバー2名が日本に残るという権利を得た状況で、N響は北米公演に出発しました。同行できなかった2名のパートに関しては、現地でエキストラプレーヤーを探すという形です。のちに、参加してくれたエキストラプレーヤーは、とても暖かく力を貸してくださいました。
でも、出発時、空港内で本当に本当にものすごくたくさんの話し合いをしました。ますは音楽家として、雇用形態的には会社と組合として、、、あの時のメンバーの顔色は、忘れられません。

11日間ほどの旅程でしたが、前半はワシントンDCに滞在。時差調整日やリハーサル期間などがあったので、少し長めの滞在となりました。ここのホテルでは、テレビでNHKが見れたんです。ホテルにいられる時間は、みんなテレビに見入っていました。リアルタイムに受信する「緊急地震速報」や、電車を始めとする様々な公共機関の対応変化に、大きな不安を感じながら。。。 自分がいつも生活する場に対するある程度の情報が入るのに、体感が全く無い、というのは、実のところ精神的に本当に厳しいです。家庭を持ったメンバーは尚更です。
公演に出た自分達の役割、、、色々あれど、色々あった自分たちが、何とか出来る限りしっかりと演奏することに集中するのが本当に難しかったです。出来る限り頑張りました。

後半は、カナダ・モントリオール〜アメリカ・パーチェス〜アメリカ・ニューヨークと、三箇所。移動して本番、移動して本番という形です。
ホテルのテレビでNHKは映らなくなってしまったけど、逆に言うと、向こうのテレビは日本では放映出来得る厳しく残酷な映像を映したりするので、実のところ恐ろしい映像を目の当たりにしてしまったことも事実です。しかも、原発問題もふくれあがって来てしまったころだったので、ぐぅ〜〜〜っと腹筋を使う状況というか、日本も自分もしっかり頑張れ〜っと言い聞かせる感じでした。

全公演、ご来場いただいたお客様にはとてもとてもあたたかいご声援をいただきましたし、場所によっては大きな募金をいただくこともできました。街の人たちもたくさん声を掛けてくれたし、僕は色々なお店の店員さんと長々話をしたりもしました。僕が、現地に住む日本人で無いことは、きっと言葉の感じでわかるのだろうけど、、、みんな日本に興味があって、とてつもないことが起きていることを気遣ってくれ、わかりやすい言葉を選び励ましてくれました。
と同時に、ただただ「よく来てくれたね。頑張ってね。ありがとう。」だけでは無かったことも事実です。

今公演は、あまりに「直後」過ぎました。言うなれば「渦中」です。
冷静に検討する間も無かったことも事実です。
事後ある程度状況が把握出来てから動くのであれば、方法を色々と模索できたかもしれません。
公演に出向いたことが良かったのか良くなかったのか、、、それはわかりませんが、公演遂行となった以上、この状況で僕らが出来る限りのことを、一生懸命してきました。
それまでです。

今公演、カーネギーホールを始め、各団体からも、日本を応援したいという、とてもあたたかいお言葉をたくさんいただきました。
旅公演から帰国したN響も今色々と考え、震災に対する協力の方法を模索しているようです。N響というオーケストラのメンバーとして、誇りを持って心からそう願います。
そして僕、竹島悟史個人として、何が出来るのか、しっかりと考えてみたいと思います。

帰国して、、、
スーパーやコンビニに食料や飲料水が本当に並んでいないことに、改めてビックリしました。今までテレビなどの「情報」でしかなかったことを、目の当たりにしました。
停電については、、、
被災地の方々はもちろん、計画停電の範囲におられる方々も不憫な想いをされていることは周知の事実ですが、、、「東京都心の街明かり」が減っていることに関しては、色んな意味で良い具合に節電できているし、この方法でもうちょっといけるんじゃないかな?と思いました。確かに「都心」も普段に比べるとかなり暗いですが、節電に協力している会社なり店舗はちゃんと数多くあるように見受けられます。日本の現況、無駄をどこまで省いていくかは、ある程度個々の考えに寄ってきてしまうかと思われますが、国や都が都心部の停電を強行できないのであれば、都心部の人間が自主的に節電するほかないわけで、、、でも、微力ながらも節電しようと心掛けている都心ユーザーが少なからずとも居ると実感しています。
きっと、要するに、被災地以外の人間が、どこまで協力出来るかだと思います。
どこまで、思いやりの気持ちを持てるかだと思います。
思いやりの形は様々でいいと思います。
でも、「責任を持った思いやり」のみが必要なはずです。

僕に出来ること、、、何だろう。。。
それを考える、震災後の毎日です。
日本のクラシック音楽界では、公演中止も相次いでいます。
そういったことや節電など「自粛」といった形と、何か頑張って生き動いてていく「活性」という形と、どうにしろ、思いやりを持って方法を探していくことが、被災地の復興へのエネルギーとなったり、ここ最近バラバラになりすぎている日本が変わっていく原動力になったりするのではないかなと思います。

今回、被災地はもちろん、国とか東京電力とかその他諸々色々いろいろ大きなところが大変なことになっていて、マスコミを介して伝わる諸々判断や情報が、色んな意味でどうなのか、また僕らにどう伝わっているのか、、、判断をしっかりしないといけないなと確かに思います。
大地震が起きた、原発が壊れた、、、まずはその事実の根っこを思い考え、泡ふき泡だっていくようなマスコミの諸情報を冷静に判断しつつ、生き動いていくべきだろうなと思います。

暗く寒く過ごしていらっしゃる、被災地の皆さま。
力と想いを贈り、心から応援する人間は、たくさんいます。
もう少ししたら、それら力が皆さまに繋がる道がきっと出来ます。
今は、今の日本の政治を何とか信じ、その政界や電力企業など大手ライフライン会社の誠意ある対応を期待し、しっかり頑張って生きましょう。
心から、応援しています。

ん、、、長くなりましたが、、、
やっぱり、この大震災のことが、頭の大半を占めていることは確かで、自分の中で色々と考えているんですね。ホントに長々と雑文を失礼いたしました。
今までテレビを持ちながらほとんど使うことが無かったのに、、、今は、このパソコンの画面とNHKニュースの画面とで明かりを採っています。

無題

お久しぶりです。

大震災により、多くの命が失われたことに哀しみを覚えます。被災された方々へ心からお見舞い申し上げます。

あの地震の翌日、N響北米公演に出発しました。
地震から出発までの間、また何とか出発してから今までの間、N響内でも色々いろいろありました。今は色々な想いを胸に、ひたすら一生懸命演奏するのみです。
3/16、アメリカ・ワシントンDCにて一回目の本番を、そして今日3/18、カナダ・モントリオールにて二回目の本番を終えました。この先ももう少し旅は続き、3/23に帰国します。

またゆっくり書きに来ます。
とにかく、みんなで頑張りましょう。

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